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喜:)怒:(哀:(楽:)

//ツイッターで撒き散らしたtweetのまとめを中心に更新するゲーム(アナログ含む)好きのブログです。
//気まぐれに書いた小説とかも投下してます。
//TRPG replay [ARA] ■01 □02 □03
//北欧剣譚ヘイムダル ■1.1 ■1.2 ■2.1 ■2.2 ■3.1 ■3.2

北欧剣譚ヘイムダル2.2-氷窟の妖姫-

【5】

「立つのじゃ」
 もう、魔蝕の攻撃はコンマ云秒以内に飛んでくる。そんなギリギリの時間の狭間で、僕の耳は、森のように深く、落ち着いた声を聞いた。
「ユリエルトの家のものではないようじゃが、そんな細事は関係ないか」
 僕は渾身の力――いや、意志力を振り絞って立ち上がる。
 そこには、白銀の髪を腰ほども伸ばした薄褐色肌の美女がいた。深緑にも似た輝きを放つドレスは身体に沿った作りだ。
 その女性は僕の方を向いたまま、半身から伸ばした右腕で尾を受け止めていた。
「その、手……」
 僕は口を開こうとしたけど、その女性の放つ魔力の大きさに何も言えなくなる。
 人間では、ない。
 僕がそう思った瞬間、その女性のドレスが、花びらのようにウェーブを描く裾が激しくはためく。勿論その長い髪も、そして僕の服さえ。
 魔力の奔流だ。
 僕は無意識に呻いたが、しかし、不思議と辛くはない。包み込むような、深い森の空気のような魔力は、僕の身体から悪しきモノの魔力を取り去っていく。
「我が名はユリス・ブリス……我が剣をとり、奴を倒すのじゃ」
 女性が空いている左手を差し出してきた。
「ユリス……さん?」
「ユリスでよいわ。早く、この手をとれ!」
 僕は、その手を握る。光とともに彼女の姿が掻き消えるように消え、代わりに手には長剣が握られていた。
 恐ろしく長く、しかし風を持つように一切の重みのない剣。
「やれ!」
 僕は心の奥で彼女が叫ぶまま、縦一閃、氷の魔蝕を断ち切った。



 僕は氷の魔蝕がいた辺りに倒れたリンレットを抱き起こす。彼女は固く目を閉じたまま反応を示さなかった。
「汚染されておる」
 人型へと戻ったユリスが、リンレットの顔を覗き込む。
「あの、だったら」
 僕がその声の主へと視線を向けると、彼女は驚いたように眉を上げた。
「おぬしのルーンは飾りものか?」
「え、僕の……ルーン?」
「そうじゃ、スピリチュアルな喜びを創造するウィンの力。これほど魔蝕の汚れを拭うのに適した力はあるまい」
 僕は唖然として、それから直ぐにリンレットに向き直った。
「その代わり、半端な力では浄化できんぞ」
「ど、どうしたら良いんですか?」
 今まで殆ど実戦で使用機会のなかった自分の力だ。
 自分の力で人が救えるかも知れない。だけど、それをするのには大きな力と覚悟が必要だと言われた。そんな危機的なシチュエーションにあったことがない僕は、ユリスに情けなく助言を求めてしまう。
 簡単に言うと、一人で失敗するのが怖かった。
「そのままじゃ駄目じゃ。服を脱がせい」
「え。それは……」
 僕が向き直ると「度し難いウブじゃな」と呟き、リンレットの服をむんずと掴むと一文字に引き裂いた。まるで氷の魔蝕を断ち切ったときのようにだ。
「うわああああああああああああああ!」
「必要なことじゃ。役得、役得」
 ユリスが心なしか邪悪な笑みを浮かべているような気がするのだけど!
「大体、ユリスは僕の服の上から浄化したじゃないですか!」
「アホか。それは私の魔力が莫大にあるからこその力技。それに、おぬしの中にウィンのルーンがなければ、この技も使えんかった」
「…………」
 今ほど自分にウィンの力があって良かったと思ったことはない。
「それにな。正直に言うと、もう魔力がないのじゃ。精々、あと一回、剣に変身できるくらいしかないし、おぬしの浄化はもちろん、さっきみたいな一撃で巨大な敵を断ち切るような大技も出せん」
 さ、浄化作業に戻るのじゃ、とユリスはにこやかに言う。
 僕は意を決してリンレットに向き直る。
 破かれて、はだけられたドレスは、本来の役目を放棄していた。その先にあるリンレットの素肌に、僕は心臓が激しく暴れだすのを止められない。
 小さいながらも、その存在を克明に主張する双丘。すべらかな肌にちょこんと窪みを作るへその下には、純白のショーツさえ見えている。
「それで、どうやって?」
「彼女の心の在りかを探る。大体、胸か子宮じゃな。手に魔力を纏わせて触れれば大体の感じで分かると聞くが」
 僕は集中し、手に魔力を留める。
 しかし、こうやって集中して纏わせた魔力も、彼女の肌に触った瞬間に霧散霧消してしまいそうな気がした。リンレットの左胸に手をかざすが、どうしてもその先の勇気が――
「ええい、まどろっこしい!」
「うわああああああああああああああ!」
 ユリスに僕の手首を持って、リンレットの胸に押し付けていた。幸い、手に纏った魔力が消えることはなかった。もしかしたらユリスが押し留めているだけかも知れないけど。
 どう表現したらいいだろう。
 布越しに感じたことがあるスピカの胸とはまた違う、やや強めの弾力を感じた。
「ん……」
 リンレットが小さく声を漏らす。
 僕はドキリとして手を引っ込めようとするが、ユリスの強烈なプッシュで、手は押し込まれていくばかりだった。
「ここじゃ。やれ」
 静かにユリスが号令を発した。
 剣で斬るときと同じ合図なのが個人的には気になるものの。
「ウィンよ!」
 今まで使ったこともないような、ありったけの魔力を込めて、僕はルーンを撃ち込んでいた。
 黄色い光が、リンレットを中心に急速に広がっていく。その中心で、リンレットから黒いオーラが飛び出すのを、見た気がした。
「いいぞ。浄化は成功したようじゃ」
 ユリスに言われ、僕は力を止める。リンレットが、ゆっくりと目を開いた。
 光が消え、同時にユリスが僕の手を離す。
「……あ、あ、あ」
 リンレットは目を覚ますなり、顔をカアッと紅潮させていた。
 言い訳ではないが、たぶん、今まで扱ったことのないほど大きな魔力を放出した反動で僕は疲れていたのだろう。
 そこでやっと、僕は、リンレットの左胸を鷲摑みしたままになっていることに気付いた。彼女は僕の手を胸からはがして、強く握りこむ。
 底知れぬ恐怖に駆られて、思わず目を閉じていた。
「……!」
 でも、いつまで経っても想像していたような事には――例えばスナップの効いた平手打ちをくらうとか、そういう事態には陥らなかった。
 トスンとリンレットが飛び込んできて、僕の手を抱いたまま胸に収まった。
「怖かった、死んじゃうかと思った。身体が重くて、寒くて、哀しくて……」
 僕は、震える彼女の背にそっと手を回して抱きしめることしかできない。
「魔蝕の悪しき気が人に与える影響は、その媒体に寄るともいう。この娘のルーンはおぬしと違って魔蝕の気に耐性がないから、氷の気をもろに受けたのじゃな」
 そこで反転、ユリスは翠の目を細め、表情を厳しくする。
「それで、おぬしらは?」
「おぬしらは……って、なんですか?」
「おぬしらは、ユリエルトの家のものではあるまい? なぜこの洞窟にいるのじゃ」
 ユリエルトと聞いて、僕は一瞬、思考停止するが、すぐに思い出した。スピカのファミリーネームだったのだ。
「スピカに、この氷窟にある剣を手に入れようって誘われて来たんです」
「ほお、スピカに。なるほどな」
 ユリスは嬉しそうに肩を揺らすが、すぐに何かに思いあたったような顔をする。
「そうすると、少しばかり拙いことになったかも知れん」
 彼女は僕からリンレットをはがしてパッと手をかざした。
 真一文字に破られたドレスが浮かび上がり、元通りになる。
「スプラネリカを探しにいくぞ。ついてまいれ」
 ユリスにとっては、不法侵入よりもスピカが氷窟にいる方が大変らしかった。
 その理由までは分からない。
 前を行くユリス。ついていく僕、その後ろにリンレット。僕ら三人は階段を上り、上の層へ、上の層へと進んでいた。
「あの、よく状況は分からないけど、魔蝕の親は倒したんだよね? 何でそんなに急ぐの?」
 リンレットが聞いてくるけど、それは僕にも、何とも言えない。が、前を行くユリスが口を開いた。
「この洞窟の深部、つまりさっきまでいた場所は、春の森の風たる私のテリトリーじゃった。だから氷もないし、泉も氷を張ったりはせぬ」
 春の森の風たる私。
 ユリスはそう言った。つまり、その化身であると。じゃあ、この女性は――
 と思ったところで、彼女の声は続く。思考が中断される。
「だがよく考えてみるのじゃ。おぬしらが落ちてから、すぐに魔蝕まで落ちてきたわけではあるまい? つまり、何かを考えて、あの魔蝕はおぬしらを追った。例えば……自身が死んでも、魔蝕群の総体としてはダメージがないから、とかな」
「つまり、あいつは親じゃなかったって事なの?」
「そうじゃ。あの魔蝕群とは、もう数年も戦っておる。いい加減、こちらのテリトリーに入ったら死を免れんことは学習していたじゃろう。だから、死んでもいい奴から、降りてきた。おぬしらの魔力を奪うためにな」
 ユリスはそう言うと、少し速度を緩め、やがて足を止める。
 前には、氷に覆われた扉がある。「この奥に親がおる」ユリスは宣言した。
「分かるんですか?」
 僕が聞くと彼女は「これほど近づけばな」と自信なさげに返し、僕ら二人を見た。
「ユリエルトとは盟約があるから、この先にスプラネリカがいるだろう事を考えると引くことはできんが……おぬしらはどうする?」
 そうは聞かれたけど、どっちにしろ扉が開かない限りは地上に戻れないし、それに、恋人として、スピカを探さないといけないし。
「僕は行きます。リンレットは」
「私も行く」
 ユリスは薄く笑みを浮かべると、では、と僕に手を差し出した。
「では、おぬしに我が身を任せよう」
 薄緑の閃光とともに、僕の手に長剣ユリス・ブリスが握られる。あまりにも長大な剣であり、同時に風のように軽い剣でもある。
 僕は気合とともに剣を扉に突きたてた。氷を砕き、中にある扉すら寸断する。扉は破壊され、その部屋が明らかになった。
 最初に入った部屋のような、十メートル四方の広がり。
 そこに、大きな氷塊があった。
 いや、単に氷の塊と表現するのは不適切だ。僕は思い直す。そう促すように、ソレは蠢いていた。
 部屋の中心部を占領する巨躯。そこから何本となく伸びた氷のウィップ。間違いなく、こいつが氷の魔蝕の親だ。
「ヘイム……逃げて!」
 部屋に声が響き渡った。
 僕が一番聞きたかった声。視線を巡らせて彼女を探す。
 スピカは、囚われていた。硬い氷の鞭に身体を幾重にも縛られ、拘束されている。ガリガリと嫌な音をたて、鞭は彼女を締め上げていた。
「スピカぁあ!」
 剣を振り上げ、突進する。
 応じるように魔蝕の主がウィップをしならせた。剣でもってそれを弾き、強引に前へと進んでいく。近づきさえすれば、叩き斬れる。この剣なら――
 その一瞬、魔蝕の親が雄叫びをあげた気がした。
 実際には、そいつは氷の塊で、鳴き声をあげることはない。
 だけど。言いようのない恐怖感に駆られ、剣を身体の前で水平に構えた。
 防御するように。
 炸裂。僕は飛来してきた氷の塊の勢いに押され、床に倒れる。
 魔蝕はその口から――口と思われる部分から、氷の礫を飛ばしたのだ。そう、転がる身体を立て直しながら、気付いた。
 氷の礫。
 それは、スピカのルーンの基本的な用法でもある。
「リンレット!」
 僕が叫ぶと、視界の端で赤光が瞬いた。
 爆発的な熱量が部屋に放出され、室温が一気に上がる。期待した。魔蝕といっても所詮は氷だ。ここまで温度が上がれば、と。
 だけれど、溶けない! 魔蝕は、まるで温度をものともしないように。
「どういうことよ!」
 リンレットが叫ぶ。
 当然だ。現に、探索を始めてすぐの魔蝕との戦いでは、爆炎によって――温度を上げるという所業によって、魔蝕を倒すことができていたのだから。
 それから数度、リンレットは爆発によって魔蝕を砕こうと試みるが、やはり自然界の掟と反すように、魔蝕の身体は頑として揺るがない。
「何かが、身体を構成する氷を守っておる!」
 ユリスの声が心の中に響いた。
何かがって、何が!
「決まっておろう、氷を守る事のできるもの。すなわち、スプラネリカのルーンの力じゃ!」
 その言葉の衝撃に、僕の身体が一瞬、止まる。
「せえぃ!」
 そこに迫るウィップを、間一髪のところで剣を抜いたリンレットが防いだ。
「油断しないで」
 彼女は剣の感触を確かめるように一、二度振って、僕を見る。ユリスの声が聞こえるがそれは剣を握る僕に限った話で、リンレットには聞こえないらしい。
「う、うん。ごめん」そう謝りながら、僕は、ユリスに聞きなおした。
「ユリス。スピカの魔力が魔蝕を保護しているというのは、本当なの?」
 呟く言葉に、リンレットも僅かに顔を強張らせる。
「ねえ、それホントなの?」
 そう聞いてくる。僕は、今度は彼女の背後から迫ったウィップを弾き飛ばす。
「……そうとしか考えられんのじゃ。同じ属性をもつモノは、強く惹かれあい、侵食する。魔蝕が、スピカの魔力を喰らっているとしか現状は説明できん」
 ユリスは、そう結論付けた。だから僕は、頷いた。
 リンレットに、ユリスに。
 それから彼女には、誓いの言葉を。
「今、僕が、君をそいつから解放してみせる」




【6】

 リンレットの放った灼熱のルーン魔術によって、部屋は暖かく――いや、熱くすらある。
 そのおかげで、やつが放つ氷の礫は、まったく僕らには届かなかった。
 眼前で勢いをなくして溶けていく氷に、選抜試験会とは逆の立場にあるような感覚を得た。
「リンレット。僕を狙うウィップ、君に任せていい?」
「何か策があるんでしょうね」
「うん。確信はないけど、自信は、ある」
 僕の言葉は、あまりにも確たるもののないあやふやな宣言だった。
 だけど、リンレットは困ったような、小さな笑みを浮かべただけで、僕の横に出た。「信頼してる」彼女はそう言った。
 ほんの少し、むず痒くなるような一瞬。
 その、何とも言えない心地よさを振り払い、僕は、集中する。
 単に剣を振るだけでは、魔蝕を倒すことはできない。それは僕の技量が足りないのもあるだろうし、もしかしたら根本的に、物理的な攻撃では倒せないのかもしれない。
 ルーンでの焼却も破砕も効果がない、ならば。
 まずは、心の在りかを探る。
 手に魔力をまとわせる。大体の予想はついていた。柄に埋め込まれた、翠の宝玉。そこが彼女の心の在りかだ。
 僕は宝玉に手をあてた。心のなかで、慌てた声が響く。
「待っ、やりたいことは分かるが、それは、ちょっと強引に過ぎる!」
 その言葉を無視して、残った魔力全てを宝玉に注ぎ込んだ。
 僕にできる攻撃も通じない。リンレットのできる攻撃も通じない。スピカは捕らわれているし、ユリスは魔力が足りない。
 だけど……なればこそ、ユリスの斬撃なら。最深部で魔蝕を一刀の下に両断した一撃ならば、倒せるかもしれなかった。その望みがあった。
 魔力が足りないなら、僕がその力を補う。ユリスの心に魔力を送り込む。
 だけど、僕の身体に宿る魔力など所詮は微々たるものでしかなく、ユリスの身体に内包された莫大な量を湛える魔力の泉を満たすほどにはなり得ない。
 それどころか、貪欲に力を吸収し続ける泉の引力に、僕は魂ごと引きずられそうになっていた。
「こ……の、うつけ者が!」
 吸収力を抑止させようとするユリス。
 自身の危険を推して、あくまで吸収を促す僕。
 そのギリギリのせめぎ合いは、圧倒的に長く、しかしやがては終結し「もう、いい! 撃てる!」ユリスの号令で、終わりを告げる。
 魂を丸ごともぎ取られそうになる強い引力に顔を引きつらせながら、僕は、上から下にと、剣を走らせた。
 一閃。
 風が、熱された追い風が、小さな部屋に吹きすさんだ。
 その風が止んで、リンレットがドレスの裾から手を離したころ、氷の魔蝕のウィップは全てが寸断されて、スピカは解放された。
 走り出す。
 ハガルのルーンの恩恵を受けられなくなって、溶けて崩壊していく魔蝕を背景に、僕はスピカを抱きしめていた。
「言いたいことは色々とあるんじゃが、まずは、スプラネリカが無事でよかった」
 そう言いながら人型に戻ったユリスをみて、スピカは口を開く。
「ユ……ユリス?」
 そうして彼女は驚きと共にその名前を呼んだ。
「スピカは、ユリスを知ってるの?」
「どういう事なの?」
 僕とリンレットが詰め寄ると、スピカは「うっ」と硬直する。
 言いにくそうな、深い事情があるような、そんな顔だった。氷窟のことについて質問されて閉口するトアさんのように、彼女は言いよどむ。
「こんな目に遭わせといて、話さないって事ないわよね?」
 リンレットが目を細めると、スピカは諦めたように息をついた。
「分かった。登りながら、説明するね」



「ルーンを発動させる三つの意志は知ってるよね。人を慈しむ善意、人に仇なす害意、そして……全てに災いを与える凶意。私は自分の力……ハガルのルーンから凶意の力を抽出することしかできないの。災いを与え、根本的には、人を傷つけることにしか使えないルーン。私はその力が嫌いだった。ハガルに込められたもう一つの力……ラッキスターを引き出すこと。それが私の目標だったの」
 そこまでは知っているし、そのために彼女が並々ならぬ努力を重ねていることも、簡単に予想はできた。最近になって知ったけど、スピカは、訓練校ヒミンビョルグでトップクラスの力を持っているし、教官からもかなり期待されているらしいのだ。
「私はヒミンビョルグに入校する前の三ヶ月、この氷窟で篭りっきりだった」
 彼女はそう言うと、少しだけ歩を速めて、列の先頭に行く。
「洞窟の中で、自分のルーンと真っ直ぐに向き合えば、善意の力を引き出せると思ったの」
 もちろん、失敗したんだけど。と彼女は気軽そうに言うが、その声が少し揺れている事に気づき、僕は少しだけ胸が痛むのを感じた。
「その時に、一緒にいてくれたのがユリス。……あの時は、ユリスが妖精剣、いえ、剣の妖精だったなんて分からなかったけど」
「そりゃあ、あの時はスプラネリカも幼かったしな。先代にも、その時はバラさぬようにと厳命を受けておったし」
 ユリスは僕の隣を歩きながら、涼しい顔で答える。
「先代って、スピカの父親に、って事?」
「そうじゃ。そのまま、洞窟に引き篭もることになるとは思わなかったがの」
 彼女がそう言うと、前を歩いていたスピカが振り向いた。
「……どういうこと?」
 目尻には小さな涙の粒。
 スピカが涙する理由の、その正確なところは分からない。だけど、すごく嫌な予感だけはした。
「分かっておるのに、あえて問うか」
 ユリスは穏やかに応じた。
 その言葉にスピカはサッと顔を赤くし、踵を返すと、上の層へと走りさっていく。僕は突然のことに動けず、それを見送るしかできなかった。
「この氷窟で一体、何があったんですか……?」
 僕は、ユリスに向き合う。
 教えてほしかった。僕に知る権利はないのかもしれないけど、それでも。
「……良かろう。おぬしには、スプラネリカを救ってもらった恩もある」
 その前に、既に僕はユリスに助けられたんだけど。そう思ったけど、あえてこの場面で言うようなことではないから、そのままユリスに頷いた。
「この洞窟はな、最初から氷に覆われているわけではなかった。先ほどスプラネリカが、ここでラッキースターの力を会得しようと躍起になっていたと言っておっただろう。この洞窟は、その時の魔力の放出によって氷に覆われてしまったのじゃ。そのまま洞窟はこの長く封鎖されておった」
 ……魔蝕が、スピカの魔力と相性がいいはずだ。
「ユリスが、ここに居たのは?」
「魔蝕じゃ。洞窟を氷漬けにするほどの魔力と、冷気で死んでしまった洞窟の生物たちの念が結びつき、魔蝕を生み出した。私は、そやつらを抑えるために洞窟に篭っておったのじゃ」
 それで、だろうか。
 スピカが逃げ出してしまったのは。
 僕は、階段を駆け上がっていた。
 スピカが氷窟だと言った以上は、自身の魔力で洞窟が氷漬けとなったことは知っていたことになる。ユリスが妖精剣であることは知らなかったが、訓練校に入学した後で、そこに妖精剣があることを知らされたのだろう。
 それで彼女は、僕たちと共に剣を取りに行こうと誘った。
 けれど、氷窟には魔蝕がいた。思い出されるのは、ここに入ってすぐの緒戦で、呆気にとられて停止していたスピカの姿。
 彼女は、それを知らなかったのだ。
 自分が洞窟を氷漬けにして、その結果、洞窟に棲んでいた生物を魔蝕にさせてしまったこと。それを抑えるために、妖精剣を人柱にさせていたこと。
 そして、その事実を知らなかった自分が、僕とリンレットに危害を加えていたことを。
「スピカ!」
 背中が見えた。
 ようやく追いついて、僕は彼女の名前を呼ぶ。
「……こないで」
 明確な拒否の言葉。
 スピカと知り合って、初めてのことだ。彼女は僕の何だって認めてくれた。食べ物の好き嫌いだって、僕の少し芯のないところだって、何でもだ。
「なんで?」
 僕が聞くと、彼女は振り向いた。
 赤くなった双眸がこちらを覗いて、スピカは自嘲的な笑みで後ずさる。
「だって、私のせいなんだよ? ヘイムやリンレットが危険な目にあったのも、父の元で振るわれるはずだったユリスを洞窟に押し込めたのも、ここに棲んでいた生物たちを魔力と冷気でとり殺してしまったのも、全部、私のせい! 醜くて、凶意の力に魅入られてて、善意なんて操れない! 災厄の……女の子なんだよ?」
 一息でまくし立てた彼女は、疲れたように、その場にへたりこむ。
「だから、ヘイムは私に近づいちゃダメ。リンレットも、ユリスも、トアも、ミアも、パパも、ママも、みんな、みんな」
 青い魔力が立ち上がる。
 スピカを中心に、魔力が渦巻く。
「これは……」
 すぐに変化が訪れる。暖かくなり始めていた洞窟に、再び冷気が舞い降りた。
 また、同じ事をするつもりなんだ。
 そして今度、誰かがこの洞窟に縛られるとしたら、スピカは自分自身を選ぶだろう。
「なんでだよ!」
 僕は声を張り上げて、スピカに近づいた。
 肩をもって、強く揺さぶった。知りたかった。
「ラッキースターの力を得ようって、二人で頑張ろうねって、そうやって僕に言ってくれたのは、スピカだろ!」
「私は……頑張れば、何とかなる、きっといつかどうにかできる! そう思ってたし、今も、そう思ってる!」
 だったら! そう僕が言う前に、彼女は僕の肩を押した。拒むように、遠ざけるように。
「だけど、そうやって私が頑張ってる間に、何人の、私の友達が、親が、知り合いが、大切な人が、危険な目にあって傷ついていくの? 四年もの時間を奪ってしまったユリスに私はなんて言えばいいの? 危険な目に遭わせてしまったキミと、リンレットには、なんて謝ったらいいの? もし誰かが死んでしまったら、私はどんな顔をして生きていけばいいの? 何も知らないふりをして、ラッキースターを得ることなんてもうできないよ。私は何も知らなかったし、何もできなかったし、この力は人に災いしかもたらさない! それを知ってしまった。そんなの嫌なの。そんな業を背負ってまで……生きていけないよ」
 何も言えなかった。
「それは違う」って言いたかった。
 だけど、言えなかった。
 彼女の腕を押しのけて、強く抱きしめることさえも、僕にはできなかった。
 僕には助けられない。
 一人で支えるには、彼女の悩みは重すぎる。
 誰か、助けてくれ。
 そう願った、そのとき、声がした。
「自分の力を見つめなおす良い機会じゃった。私はそう思っとるがのう」
「私は、私の思うまま考えて行動して、ここにいるの。それを言うに事欠いて、自分のせいですって? 勘違いも、甚だしいわ」
 ユリスと、リンレットだった。
「私は自身の力に絶対の自信を持っていたが、やはり属性関係というのは侮れん。私の力を持ってしても、苦手な力をもつ相手を断ち切るのは簡単なことではない。この四年間は、いい勉強になったんじゃが。スプラネリカは、礼を受け取ってはくれんのか?」
 ユリスが言うと、スピカは苦しそうに、首を振った。拒むように、そんなわけがないと、そうやって塞ぎこむように。
 そんな彼女に苛々しているのだろう。
 リンレットは一度だけ頭を掻いて、スピカを直視する。
 いつもなら、こんなこと絶対に言わないんだけど。と彼女は呟く。
「私が傷ついたり、危険な目にあったりするのは、私の責任。だって私はスピカに操られているわけでも何でもないもの。確かに私は自分の意志と、自分の足でここに立っていて、自分からスピカに関わろうとしているの。だってそうでしょ? スピカは私のライバルで、少なくともあなたに勝つまでは、悔しくて堪らないもの」
 リンレットは言い切って、僕の右隣に座る。
 左隣にはユリスがいる。
「スピカは、気にしなくていい」
 僕は、意を決して口にした。
 そうだと思ってること。そうだと思っているけど、僕の口から言うだけでは、あまりにも薄っぺらすぎて、きっと力にならなかった言葉。
「僕らは大切な関係のなかに生きていても、一人の人間じゃない。その災いが、誰のせいで襲い掛かってくるのかはともかく、自分に降りかかってきた災いは、自分の力で切り抜けないといけない。それが、生きるってことだと思うんだ。……だから、気にしなくていい。みんなそう思っているからこそ、スピカの周りには沢山の人がいて、みんな、スピカの事が好きで、力になりたいと思ってるんだ」
 緊張していた魔力の流れが、緩んだのを感じた。
 スピカが僕の胸に飛び込んで、固く、抱きしめてくる。
 強く腕を回し、嗚咽を漏らす彼女をいつまでも宥めていた。
 たった一人の女の子。
 たった一人の、僕のスピカを。



【7】

 そうして、僕たちの氷窟攻略は終わった。
 四年も氷の世界と閉ざされていた洞窟は元の様相を取り戻し、その奥で魔蝕を抑える役目を任されていたユリス・ブリスも解放された。穏やかな休息の日々は溶けていく氷のように流れ去っていき、明後日からは昇級試験が始まる。
 僕たちは館の前で馬車を待っていた。
「トアさん、ミアさん、ありがとうございました」
 僕が頭を下げると、見送ろうと戸口に立っていた二人は慌てて返す。
「いえ、お嬢様の友人をもてなすのは、当然のことですので」
「それもですけど、その、スピカのこと気遣ってたんですよね」
 氷窟のことを訊かれて閉口したトアさん。彼女はきっと、全てを知っていた。だから、そうしようと思えば、僕たちの行動を無理やりにでも止めることができたはずだ。
「……いえ、結局は、私たちではお嬢様を助けられなかったということですから。あなた方には苦労をかけてしまい、申し訳なく思います。どうか、お嬢様のことをお嫌いにならぬよう、お願い申し上げます」
 トアさんが礼をして、ミアさんもそれに倣う。
「もしかして、トアさんは知ってました?」
 僕はふと好奇心にかられ、そう訊いてみる。
「……その、僕とスピカが付き合ってることとか」
 小声で言うと、「ええ、存じておりますとも」彼女は簡潔に、澄まし顔で答えた。
「ヘイム、馬車が来たよ」
 後ろからスピカの声がした。
「早くこっちに来なさいよ」リンレットの呼び声も聞こえる。
「すぐ行く」
 僕は返し、館に背を向けた。腰にはユリス・ブリスが架かっている。
 ここで手に入れたもの。それは、僕とスピカとリンレットの、より強固で確かな繋がりと、そして妖精の剣だった。
「ユリスは、僕についてきてよかったの?」
 僕は呟いた。
 四年前まではスピカの父が使っていたという剣だ。トアさんとミアさんについていけば、本家に帰ることもできるのだ。あの洞窟での戦い以降、ユリスは完全に僕の剣であるように行動していたから、なかなか聞き出せなかったけれど。
「スプラネリカのことも気になるしのう。それに……」
 一瞬、息をつめるユリス。
「それに?」僕が聞き返すと、彼女はややあってから、言葉をつなげた。
「今、私の口から言うことでもない……そのうちに、おぬし自身が、はっきりと自覚するじゃろう」
 謎めいたメッセージに、僕は足を止める。
「どういうこと?」
 呟くが、答えは返ってこない。
「ヘイム! 早く乗りなさいよ!」
 リンレットの、強く、僕を呼ぶ声。
「分かってるよ!」
 と、僕はそう言い返そうとして、咳き込んだ。妙な喉の引っかかりに、顔を少しだけしかめた。
「大丈夫?」
「平気、平気。ちょっと唾がヘンなとこに入っただけだから」
 スピカの声に、僕は慌てて馬車へと駆ける。
 唾液を飲む。
 ――少しだけ、血の味がした気がした。

氷窟の妖姫・・・了
by yamaomaya | 2012-02-11 15:21 | 小説